『菜摘ひかるの私はカメになりたい』菜摘ひかる著(角川文庫)

僕は、自分で自分のことを、感情の振れ幅の狭い人間だと思っている。嬉しいこともほどほどに喜び、悲しいことも、そこそこに悲しむ。苦しい時も平気な顔でやり過ごし、楽しいときも淡々として“別に・・・”という表情でいる。面白くもなんともない人間である。
どうしてこんなふうに育ってきたのかということに、最近とても興味を持ってあれこれ研究しているのだが(これはホント)、それはおいといて・・・、世の中にはどちらかというと、その逆で感情の振れ幅の大きい人のほうが多いように思う。そして僕は無いモノねだりのように、そんなストレートで率直で解りやすくて、でもタイヘンな人がわりと好きである。

へんな前置きになってしまったが、僕が著者の菜摘ひかるさんという人を知ったのは、インターネットで人の日記を読むということがまだとても珍しいころのことだった。つまり、けっこう昔のこと、というわけです。風俗の仕事をしつつ、そんなことをネタに、あるいは自分のことや身の回りでおきたことに、喜んだり、怒ったり・・・、驚いたり、悲しんだり、落ち込んだり・・・、とっても素直な文章を書いていた人だった。そう、無いモノねだりの憧れ(?)の人だったのである。

その菜摘さんが、先月11月初めに亡くなられたのだという。もうかなり前にホームページで書くことはやめてしまったので、あまり文章を読むことはなかったのだけれど、とりあえずちょっと思い出にひたってみたくて、この本を買ってきた。なんとも、売る気のなさそうなタイトルである。

身の回りの物事については、ホントにストレートに自分の感情をぶつけ、はっきりとしたものの言い方をしているのだけれど、いざ、自分自身に向き直ったときの歯切れの悪さ・自信のなさは、ある意味痛々しい感じさえする。自分はこんなだよ、って開き直ってしまえばいいのに、“これでいいのかな・・・”“大丈夫なのかな”“自信を持ちたい・・・”そんな不安や心細さを感じさせることばがあちこちに顔を出す。“それでいいんだよ。”“そのままで全然オッケーだよ。”とまわりで励まし、安心させてあげる人がもっとたくさんいたらよかったのになあ、と思う。
この本では、あんまりどん底には落ち込んでないけれど、もっと以前の日記などは、井戸の底にいるように暗かった。ツラく苦しい日々を過ごした分、楽しく明るい日々をもっともっと経験してもよかったのではないか、と思うと可哀想に思えてならない。