『告白』井口俊英著(文春文庫)

いまだにず〜っと下降線をたどり続けている経済・金融の情勢の中では、もう既に忘れ去られてしまったかのような昔の話のようにも感じる事件だ。しかし当時、まだまだ不良債権の情報などがはっきり見えていないこの頃、銀行というのはもうとんでもないことになっているんではないかと思わせるに十分だったのが、この事件からだったようにも思われる。

大和銀行のニューヨーク支店で違法な債権取引が発覚し、その損失がとんでもない金額(11億ドル)になっていたという事件の顛末を、その取引の直接の担当者であった人物が自ら出版したのがこの本だ。何よりもまず驚くのは、銀行という半公共的な機関において、たった一人の人間が、不正にこれだけの金額を動かして取引をすることが可能であったということ。そしてその莫大な損失を10年以上にわたって、内部・外部の監査/検査が見抜くことさえ出来なかったということだろう。

そして何よりその事件がどのような経緯で明るみに出て、そこから本人と大和銀行、大蔵省、ニューヨーク連銀、司法当局、FBIなどを巻き込んでいく中で、誰がどんな形で責任をとることに落ち着くかという展開がこの本の面白さと言える。責任逃れに終始する官僚や銀行のトップの言動は、さんざんそうした場面を見せられてきた僕たちにとっては、もう何の感慨もない。また、つい先日の外務省のアフガン復興会議におけるNGO問題の対応などを思い起こせば、役所は違えども、結局は未だに変わらない体質がそっくり残っていることを示してくれているわけで、溜息しか出ない。

それにしても読みながら感じていたのは、これほどの大きな損失金額を隠しつづけるという重圧に絶え続けた神経の強さについてのことだ。僕らは誰でもたぶんウソをつくことがあるし、そのウソがばれないかというヒリヒリした感覚を味わったことのない人はいないだろう。ほんの些細なウソであっても、そのヒリヒリ感はとても苦しいものだ。人はそうしたウソをつくツラさを味わうことで、たとえ自分の落ち度を晒すものであっても、真実を告げることを選択するものだろう。本人も文中で書いているが、これほどの重圧からたとえ自分の罪を認めることの引き換えによってでも得ることが出来た開放感はどれほどのものだったろう。

ところで、この井口氏、その後はもちろん裁判が確定し服役、そして出所している。月々罰金を払いつつ、懲りずに投資会社を個人で始めたとのことだ。失敗が大きかっただけに、学んだことも大きかっただろうと言うのはちょっとキツい皮肉か。大和銀行については株主代表訴訟で、アメリカで支払った罰金の倍以上の金額を当時の役員たちが支払うことにもなった。結局は一方の当事者である銀行にとっては最悪の結末となり、それと対する関係になった井口氏にとっては、おそらく最善の結果ではなかったか。
日本で大和銀行に裏切られ訴えられていたら、全然違う結果になっていただろう。頭取に送った告白状が、当時井口氏が望んだ通りに処理されていたとしたら、やっぱり何もかもなかったことのように闇の中に葬られてしまっていたのだろうかと考えると、それがもっとも恐ろしいことに思えるのである。

興味ある方はご覧あれ。
井口俊英氏のホームページ
http://www.iguchitoshihide.com/index.htm