『ハルシオン・デイズ 〜もうひとつのトランス〜』鴻上尚史作・演出(紀伊国屋ホール)

元祖(?)『トランス』はどれくらい前だったか、あまりはっきりした記憶がないのだけれど、一応初演と再演と2回とも見ているが、もう少し多様で複雑なストーリーだったような感じがする。今回の『ハルシオン・デイズ』は“〜もうひとつのトランス〜”という副題付きではあるけれど、まったく新しい芝居として見てもいいだろうし、女一人、男二人で精神を病んだ人についての話、という同じ設定の中で比較して見るのもいいのかもしれない。

とてもシンプルで力強いストーリーを作っていると感じる。そしてその力強さはそのメッセージ性にある。
物語を詳しくは説明しないけれど、テーマ(モチーフ)は“ネット心中”である。ネットで仲間を募り、なぜか3人で自殺するために集まったその当事者3人の人間をめぐる展開だ。

人は何故自殺するのだろうか、ということについては、わかるようでわからない。そして特にこのインターネットで仲間を募って、なぜか3人という単位で死んでいくのは何故かということは、もっとわからない。死ぬ気になれば、何でも出来る、なんていって自殺する人のことを責める気にもならない。わからなければ結局何も言えない。
でも、もしかすると、そんなふうに自殺する人にとっては自殺することに“何故?”なんてないのかも知れないとも思う。“理由”でなく“目的”になってしまった『死』を理解するには、目的としての『生』を説くくらいに難しいような気がするのだ。
舞台の3人は、自殺するという目的で出会ったことにより、それぞれが引きずってきた過去と向き合うことになる。そしていくつかの偶然もあって、死ぬ目的が失われ、死ぬことが怖くなり、何故死のうとしているかが判らなくなり生きることを選ぶ。積極的な生きる理由がなくても、どんな消極的な理由で選択した『生』でも、生きてさえいけば、そこからはまた新しい何かが生まれる可能性があるのだ。それでいいのかもしれないと思う。