『グロテスク』桐野夏生著(文藝春秋)

“東電OL殺人事件”を下敷きにしたノベライゼーションである。勿論フィクションだ。
この事件は、恐らくまだ多くの人の記憶に残っている事件ではないだろうか。その後も、少年犯罪などでショッキングな事件は次々と起きているけれど、殺された側にこれだけの関心が集まった事件というのも珍しいだろう。佐野真一氏の二冊のノンフィクションも読んだし、僕自身の中でもまったく風化していない出来事だけに、この本もとても関心を持って読んだ。

彼女が一流大学を出ていること。父親と同じ一流企業のOLであったこと。管理職に近い立場まで出世したエリートであったこと。そうした事実がある一方で、殺されるに至った彼女の夜の一面は、まったく普通の感覚では信じがたい現実であった。
人は、こうした事件を知ると、事件そのものの現実とその背景にある事実の関連を求める。たとえば、それがヤクザや不良であれば、「やっぱりな。」という判りやすい関連に納得する。例えば、先日の長崎の少年の事件のように、事実と現実の間に大きなギャップがあると、それをどうにかして埋めようとして何かしらの情報を求めるのだ。
ギャップが大きければ大きいほど、僕らはその居心地の悪さや気持ち悪さを感じるということなのだろう。逆にいうと、そうした関連を知り、自分なりに納得することにより、心の中に安心を求める、自分は大丈夫だという確信を求めるとも言えるのだろうか。

東電OLの事件は、そうしたギャップの大きな事件という意味では、典型的な事件だったように感じる。そしてその大きなギャップは、事件から6年たった今でも、実際にはほとんど埋まっていないに等しいだろう。しかしギャップそのものをどれくらい大きく感じているかというと、僕らがそうした大きなギャップを持った様々な事件に接することによって、少しずつ縮小してきているとも感じる。

今回作者が取り組んだのは、真実の情報によって埋められないギャップを、想像の世界で埋めるという作業なのかもしれない。恐らくは桐野氏自身が、この事実と現実のギャップに関心を寄せ、桐野氏自身の想像力の中で、そのギャップを埋めるストーリーを創造していったということのようにも思える。

作品の感想という部分についてはあまり核心には触れないが、そうした可能性もあったのだろうという意味で、大変興味深かった。もちろんフィクションであるから、現実の事件の回りに、様々な出来事や人物を配している。出てくる人間がいずれも強烈な個性を持って、しかも人間としての醜い面をこれでもかと晒しながら、絡まり、ぶつかり合う。とにかくそのパワーは圧倒的。

作者自身の  自著を語る も興味深い(文藝春秋社)