『街道をゆく13 壱岐・対馬の道』司馬遼太郎著(朝日文庫)

このシリーズを読むと、実際に自分の目でその地を見て、自分の足でその地を歩きたくなってしまう。今回もやはり読みながら、いつかここへ行ってみたいということを感じていた。

冒頭、作者の私的な回想から始まるところが印象的だ。京都の小さな地方新聞社で記者をしていたときの仲間に対馬の出身であったAという人物がいたということから始まる。文中にも時々顔を出すこのAとの交流を回想するのだが、このAという人物その人自身がとても魅力的なのだ。

もうひとつ印象に残った箇所(雨森芳周のこと)は日記のほうに書いた。そしてこのAという人物について書かれたボクにとって印象深いエピソードは次のような箇所だった。ちょっと長くなるが引用してみたい。著者にとっても特別な知己であったAという人物についての記述が実に印象的でいい。

【引用はじまり】

Aはひとりぐらしのアパートで、夜中、水を飲むために台所にきて、そのまま長身の筋肉質の身体を横ざまに倒して、死んだ。翌日の訪問者で最初の発見者である○○日報社のK君の報告では、じつにいい顔をしていたという。K君は二十年来、Aを師のように尊敬しつづけてきた人で、
−−−人間はこのように死ね、と教えられているようでした。と後日、追悼の集まりの席で話してくれた。
(中略)
『人間、たいていの感傷はインチキだ』というのがAの口癖で、このことばは多量に真実を含んでいる。Aが故郷に帰りたがらなかったのも、自分が無用に感傷的になることをきらったのではないか。

【引用おわり】

壱岐対馬は場所的なことによるけれど、少なくとも例えば関東に住む自分のような人間の感覚では、2つの島でひとつのエリアという感覚がある。しかし、この本を読むと、地形的な異なり、おそらくはそれに起因するであろう、生活の異なり、そして人間的な性向の異なりが顕著であるようだ。それぞれの島に住む人たちも、お互い自分たちが決して同じような種類の人間ではないことを意識している。

また、韓国との交流があることはある程度知っていたが、大陸の文化が、韓国から、この地を経て日本にもたらされた部分が大きいこと、そしてだからこそこの島に残されたものに、日本の歴史の始まりを見ることができるように感じられるところなどがとても興味深い。