『ピルグリム』鴻上尚史作・演出(新国立劇場)

開演前に、ちょっとだけ腹ごしらえを、と思い初台のコンビニで買物をして入る。小さなテーブルで梅干のおにぎりを食べ始めたら、目の前数メートルの受付脇に鴻上さんがいた。赤いシャツを着て、入場してきたお客の様子を窺っていたようだが、目が合ってしまった。はい、目の前でおにぎりとドーナツを食べて生茶ボトルを飲んでいたのは私です(って誰に言ってるんだ)。

ところで、“ごあいさつ”はどうしたんですか〜(ってまた、誰に言ってる)。この人のお芝居の正しい見方は、ちょっと早めに席に着き、あの丸文字の直筆ごあいさつを読む。そうこうしてるうちにいつもの開演前の音楽が流れ、ちょっと期待に胸高まる・・・。というものだったのだけれど、今回は“ごあいさつ”がない。さびしいなあ。

ピルグリム”とは霊場を旅する人、あるいは巡礼者のことで、ヨーロッパからメイフラワー号に乗って始めてアメリカ大陸にやってきた清教徒ピルグリム・ファーザーズと言われている。
ここでは“オアシス”を求めて旅をする人、あるいはその旅のことがお話ということでこのタイトルになっている。色んな見方、理解の仕方があって、多分作者はそれを限定はしないのだろうと思うけれど、僕が思ったことを書いてみると、ざっとこんなことだ。

オアシスは本当にある。でもそれは具体的な場所のことではない。そこに辿り着けばゴールするような場所でもない。それを求めて生きるのが正しい姿だ。そこへ至る道はたとえ険しくとも、本当の自分が何を見て、何を思い、何を求めているのかということを自分自身の心において見失わなければ、人はそこへ向かって歩み続けることができる。
こういうことは、言葉にしてしまうと説教くさいから、このくらいにしよう。しかし平日とはいえ、空席が目立って少々寂しかったのは事実。確かに初演の劇団(第三舞台)での公演に較べれば“キレ”がちょっと足りないだろうかという印象はある。いい劇場なんだけど、空間として大きすぎるかなという印象もある。そんなちょっと残念なところはあったけど、鴻上さんの“思い”は、見終わった僕を幸せにしてくれたよ。