『イケニエの人』大人計画(世田谷パブリックシアター)

松尾さん自身、大人計画の劇団公演としては久しぶりの舞台(新作)ではなかったかな? かなり期待していただけに、今回は見終わったあと、う〜む、これはいったいどうしたのだ、という感想である。面白くなかったわけではないんだけれど、色んなモノが収まりの悪いままに進行していって、その収まりの悪いままに終わってしまった、というような感覚だろうか。

たまたま今日の朝日新聞の夕刊には、この芝居の劇評があった。“松尾のひとつの転機になる”のではないか、というような言葉がある。僕の感じとしては、転機というよりも、ここからどこに向かおうとしているのだろう、という疑問のようなものが湧いてくる。
例えば、今までの作品では、暴力的で、下品な印象を持たせながら、どこかにしっかりと見せていた、人を見る目の温かさというか人間同士のつながりへの信頼のようなものが、意図的・意識的に分断されているように思うのだ。訳もなく暴力的になり、訳もなく叩かれ、訳もなく殺される・・・。僕らは現実の社会でも起きている訳のわからない、原因の理解できない事件などを、“闇”という言葉にして、恐れる。例えば、殺人事件があったとしても、動機があってその因果関係が理解できるものより、なぜこの人はこの人を殺したのだろう、という疑問の答えがない事件のほうをより恐れる。訳が判らないということに対する恐怖というものが、間違いなく人間には存在する。

スゴいな、傑作だな、とは言えないけれど、これは失敗作?という感じともちょっと違う。“こんな感じ、どう? 付いて来れる? 理解できる?”と、今回出番が少なかった松尾さんが、舞台の向こうから客席を見ているように感じたのだった。